Dairy

GELANDE LIFEやCAR LIFE、GOURMET等、WEBMASTERの日々の出来事を

今後拙文にてつづりたいと思っております。

ご笑覧下さい。

 

H23.04.25

本当に4駆?CROSSOVER

昨日夕方より長島&名古屋に行きました。

四日市ジャンクションから湾岸道へ入ると、何時も以上の強風&横殴りの雨…。

高速横の工場の煙突から出ている煙も、90度直角に勢い良く伊勢湾方向に流れています。

ALL4の真価を問うにはある意味最高のシチュエーションです。(爆)

しかし…

ここぞとばかりに(笑)飛ばしてみても、Gやクワトロみたいな悪天候をものともせず突っ走る

様な何とも言えないステアリングからフィードバックされる安心感がイマイチ無い…。

勿論、横風による揺さぶりはより車高の高いGの方が酷いのですが、通常時でも必要以上

にクイック&軽すぎるステアリングのクロスオーバーは、舵をキープするにも、強風の中修

正舵を入れるにも、車の挙動が表れ過ぎて、お世辞にも直進安定性が良いとは言えない気

がします。

そして、雨で濡れた高架の高速道のジョイント部分でも、普通四駆車だと全然気にせず踏

んでいけるのに、まるでFF車と同じ様に、乗り越え時に若干ステアリングを取られてしまうの

です。

これは私見ですが、ALL4は四駆とは言え、他のフルタイム四駆より、リアへの駆動配分が

かなり少なく、殆どFF車並と言う感じがします。

もう少し、トラクション配分をリア重視に変えた方が、車の安定性も増し、車のキャラクター

に合うんじゃ無いでしょうか?


これなら、余り二駆のクロスオーバーからの優位性が見出だせないですね。

まぁ、半分ファッションで乗る分には、全然支障の無いレベルなのですが…

 

 

H23.04.13

MY FAVORITE WINES

@普段飲み

もう有名だから皆さんもご存じでしょう。2000円クラスで赤ワインをといわれれば、個人的

には今でもこれをお勧めします。マンガ神の雫でデイリーワインが他にも沢山紹介されおり

一通り飲みましたが(笑)、やはりこれに戻ってきます。入手は全然難しくありませんので

、是非お試し下さい。

 

 

 

A普段よりちょっと奮発系

4000円〜5000円位の赤で、一番良く飲んでいるのがこれナパヌックです。

カリフォルニアナパバレーの高級ワイン、ドミナスエステートの2ndです。ラベルも今風のお

洒落な感じです。(如何にも美味しそうなラベルです)

メルロー主体でかなりしっかりしたワインです。

個人的にはお味は1万円級相当のワインだと思います。

ワインショップエノテカが輸入元だったり、またネット等でも結構出てるので、入手はそんな

に難しくありません。これもお試し下さい。

 

 

 

 

 

 

 

B値段はA+だけど今や入手困難??

以前はAと同じプライスレンジでしたが、今やシャトーが他社に売却され入手困難なワイン

となったのが、このシャトーセルタンジローです。

その昔、私がまだワインを飲み始めた頃、当時良く通っていた焼肉屋の大将(お金さえ出せ

ば焼肉にロマネコンティーを出す:爆)に薦められ、何とかの1つ覚えみたいに飲んだワイン

です。

超高級ワインであるペトリュスと畑が近かったり、後にこのシャトーが売却され、そこでシャト

ーオナンザという、評価の高い高級ワインが生み出された事により、流通価格がオナンザの

1/2〜1/3の値段という事もあり、改めて注目を浴びたワインです。

私も某ワインショップで売りに出ていた97年ヴィンテージをラスト1ケース格安で買いました

が、やはり誘惑には勝てず結構飲んでしまい、あと3本足らずとなってしまいました。

今でもネット等を片っ端から捜せば出物はありますが、残念ながら価格は1万円をちょっと

切る位です。

 

 

 

 

C名前もデザインも車好きにはたまらない

ズバリその名前は「ミウラ」・・・このワインが作られるブドウの元祖は、ブドウ供給元のオー

ナーが、ロマネコンティー社のラターシェの苗木をパンツの中に隠し持ち帰り、カリフォルニ

アでその苗木から出来た育ったピノ種と言われています。真偽の程は?でも、そんな逸話

抜きにしても非常に美味しい赤ワインです。

ネーミングとデザインは車好きの友人からも評判が良く、またワインのプロであるソムリエ氏

からも、氏らが在籍するクラブ等に小生が差入れた際は、非常に好評で、ある意味「してや

ったり」的なワインです。

ちなみに、身内でこれを飲んだ人全て、○ーパスワンより美味しいと言ってくれます。(勿論

ブドウの種類は違うので一概には比較出来ませんが・・・・)

 

 

 

 

H23.04.12


試乗車色々@

先日、みんカラにてご報告の通り、我がCROSSOVERALL4が高速走行中にエンジン警

告灯が点き、購入後1000kmにして不幸にも初のディーラー里帰りを果たした訳ですが、

この時のディーラーの対応は十分納得がいくものでした。従来ある意味でヤナセスタンダー

ドに慣れきっている私としては、今回初めてBMWディーラーとのご縁で、しかも幾らBMW

ディーラーとは言え私が買ったのはその末席のミニだし、正直対応は余り期待していなかっ

たのも事実でしたが、その期待は今のところ見事裏切られた形となっています。トラブル発

生直後の電話アドバイスから入庫時の受入体制、そして代車の手配に至る迄、全て敏速な

対応であり満足のいくものでした。(購入早々のトラブルには納得いきませんが・・・)

先ず入庫時に直ぐに代車として提供されたのが青色のONE。パワー的に98PSでおまけ

に山吹色のゼッケン4番やら文字やらが色々ボデー側面に貼られている、正に派手派手デ

ィーラー試乗車でした(笑)

装備の方はナビも無ければ革シート・シートヒーターも無い・・。ましてやハーマンカードンも

無いという、俗に言うベースグレードという奴でした。我がALL4との価格差約はダブルスコ

アーと迄は言いませんがかなりな物です。(笑)

この素のクロスオーバーを運転して先ず感じた事は、「これは正にFFだなぁ〜」と言う当たり

前と言えば当たり前の事でした。発進時のトルクステアの出方等、ALL4との違いは何もパ

ワーだけで無く、当然ながら駆動方式もその差は明らかでした。

パワーはお世辞にも力強いとは言えませんが、街中を他車の流れに従って走る分にはこれ

で必要十分といった感じです。ただ、やはり走行中ALL4より頻繁にキックダウンを繰り返

すその姿は、非力さを的確なシフトチェンジで何とかカバーしようとする姿をひしひしと感じ

た次第です。その一方ALL4よりはボデーの軽さ・動きの軽さが明らかに感じられたのもま

た紛れもない事実です。

市内買い物オンリーとか駅や学校までの送迎用に割り切れるのであれば、素のALL4もア

リではないかというのが私なりの感想です。

ちなみにこの試乗車を返却し、後にディーラーから我がALL4を受け取り即座にステアリン

グを握った際、先ず感じたのは「これは4駆だ」と言う事でした(これも当たり前ですが)。

運転中のアクセル強度により、明らかにフロントに駆動力が掛かる一瞬の違いを体感出来

ます。

まぁ個体差若しくは初期ロット等の原因かも知れませんが、この状況はパワーも車格も全く

異なるものの、昔の乗っていたR32GTRにどこか似ているなぁ・・・と思い出した次第です。

 

続く

 


 

 

 

 

H23.03.29


先ず、今回の地震で亡くなられた方、被災された方に対しまして、心よりお見舞い申し上げ

ます。

私自身も、地震発生時期が期末決算に向けた最終スパート時期と重なった事もあり、非常

にショックを受けております。

被災地だけでなく、被災を免れた地域を含め、我が国経済にこの先一体どういう不測の事

態が起きるのか全く予測も出来ません。

今後雲の中を有視界飛行で飛行するかの如くの経済活動を採らなければならない事は必

至です。 しかしながら、我々被害に遭わなかった者は、自身の意志とは反して惜しくも命を

絶たれた被災地の方々の分も、一生懸命生きる義務があるのも事実です。

正直なところ私自身も今後の経済状態に悲観し、物事を悪い方悪い方へと考える傾向が出

て参りましたが、塞ぎ込んでばかりいる場合では何も事態は打開出来ません。

そろそろ出来るだけポジティブシンキングを心掛けたいと思います。

 

+1000回転のジェラシー

コーンズでの約6ヶ月の入院の後、私の手元に戻ってきた456には、TUBIのマフラーが装

着されていた事は以前お話ししました。

その私の456に装着されていたTUBIは、今では考えられない事ですが触媒レスの状態で

した。

何も私が触媒レスを希望した訳でもなく、(もう時効だから言いますが)ディーラーの意志で

違法改造承知で触媒レスのTUBIを装着してくれたのです。

実は、これは消防車騒動後にコーンズのフロント氏から聞いた話ですが、当初ノーマルの

状態で僕に引き渡しする際、ノーマルマフラーの触媒を取っ払って納車するか、触媒レスの

TUBIを装着の上納車するか最後まで迷ったそうです。

何れにしても、最初の段階でコーンズのフロント氏の思惑通り、触媒レスの状態で僕の元に

きてさえいれば、例の消防車騒動も無かった訳ですし、洒落にならない額の修理代(コーン

ズの保証)も掛からなかった訳です。

とにかく、モトロニック2.7の456は片肺トラブルや未燃焼ガスの触媒での異常高温化&

発火がそれだけ多発していたという事なのです。

僕の456のマフラーについて、後に鈴木商会の「若」に直接確認したところによると、通常よ

り市販されているバージョンではなく、爆音仕様のバージョンだと言う事でした。

どおりで早朝深夜にエンジンを始動すると、排気量が大きい事もありあたかもお隣さんの窓

ガラスが割れそうな勢いの音量でした。

自宅ガレージには強力な業務用換気扇を設置しておりましたが、触媒レスによる排気ガス

の臭いが壁つたいベッドルームにまともに侵入し、(こういう場合はRC造の家だと機密性が

高いので良いですね。結露はしやすいですが)家内からブーイングが出てくる始末で、その

後456は折角456用に建てた新居兼ガレージから、某インター近くのテントガレージへと移

動せざるを得ない事態が発生したのです。

当時は355の社外マフラーが流行出した頃ですが、イトレー当たりでバルブ付の作品が出

現し、始動時はほぼノーマル並みの音量で、近隣からブーイングが出にくいマフラーが出だ

した頃です。

そんな、自宅や近所では反感を買うTUBI@456でしたが、一度高速やワインディングに出

向くと、それはそれは本当に気持ちの良い音でした。FRでパイプが長い分、512TRよりも

良い音が出ていました。勿論F50程エンドは廻らないので高回転エンド域での高音は望め

ませんが、中低速では殆どF50と同じ音質でした。

当然、ソロでドライブしている時は(ライバル不在な為)音質・音量に一切の文句は有りませ

ん。しかし唯一ジェラシーを覚えたのが、355との隊列を組んだ走行時でした。

勿論456は355より大排気量なので音量では決して負けておりません。

しかし、355はレッドが8000回転以上まで引っ張る事が出来ます。一方456は7200回転

がリミットです。当然355と隊列を組んで同じスピードで走行していても、456が355よりシ

フトアップが早め早めとならざるを得ません。そして質の悪い事にそのエンド800〜1000

回転分の差が、一番美味しい高音域な訳でして、V8とV12では素性の違いは重々自分自

身の頭の中で承知はしていても、唯一常に355にジェラシーを感じた部分です。

結局、V12でV8並みの高音域を望もうとすると、それはV12で8000回転以上廻る車と言

う事になり、550でも駄目で究極のF50当たりでないと無理という事がやっと理解出来、諦

めをつける事が出来ました。以後は355に張り合うこと無く手前手前のシフトアップを心掛

ける運転へと変わっていくのでありました。

 

 

H.23.02.16

 


ベントレー大阪(本町コーンズ)訪問

 

仕事で急遽社用車で朝一で大阪に走る羽目になり、久しぶりに旧知のコーンズの敏腕マネ

 

ージャーM氏とお昼ご飯でもご一緒しようとお誘いの電話を入れると、ショールームに居る

 

ので来てくださいとの事。手短に仕事を済ませ本町のベントレー大阪のショールームへ。暫

 

くショールームで氏の登場を待っている間、取りあえず展示車両をパトロールさせて頂く事

 

に・・・。其処には無造作に置かれたフライングスパーのスーパースポーツが2台と、コンチ

 

ネンタルのスーパースポーツのスペシャルオーダー車の姿が・・・・。

 

普通の(?)コンチGTやフライングスパーを一堂に見るだけでも凄い事なのに、ここの3台

 

は全てダイアモンドキルトの内装(その内、黒のコンチSCはベージュ×アルカンタラ黒のダ

 

イアモンドキルト2トーン)と、豪華絢爛・オプションてんこ盛り状態。その中でも黒のコンチS

Cはホイールも黒色で、正に激渋・極悪仕様。これにフイルム貼れば正に銀座や新地で怖

い者無しといった趣(結構好みです:笑)


そんな中、氏の登場と共に思わぬサプライズが・・・


何と氏のご厚意でパールホワイトのコンチSCに試乗させて頂ける事に。それもロールバー

装備の最も硬派仕様に・・・。


さて、そのコンチSCに乗ってみた感想はと言うと、先ず「599より速いんじゃない??」です

。パワー感だけで無く、ボデー剛性やブレーキタッチ(余談ですが同じカーボンブレーキでも

この前試乗した458より抜群に効く)が、正にスポーツカー。目隠しして乗れば先ずこれは

ベントレーではないといった感じです。パワーもまぁ、610PS有る訳ですから、599より僅

かにSCの方が数値は劣るものの、片やこちらは4駆と、総合的には全てにおいて良い勝負

です。

でも、今日交差点でUターンから直線の立ち上がりで、結構ステアリング操作と共にスロット

ルを踏み込みましたが、有り余るパワーの為かテールの挙動が若干FR的要素も出て、車

にさえ慣れれば安全一辺倒の四駆では無く、かなりスポーティーな走りが出来そうです。(

このパワーで2駆という方が逆に凶器かも??)

勿論クイックなステアリングな為、鼻歌交じりの片手運転も楽々可能で、正に世界最強のゴ

ルフエキスプレス+αという感じです。

今日初めて載せて頂く迄、正直コンチSCがこんなにワイルド(外観・内装では無く走り)だと

は思いもしませんでした。

 ちなみに、試乗を終えてショールームに鎮座する黒のコンチSCを前にM氏が僕にこう呟

きました。「これ(黒のコンチSC)なら、マンソリーが横に並ばれても負けません」と・・・。流

石敏腕マネージャーM氏、凄い殺し文句です。 

 

      

    

 

 

 

 

 

 


H.23.02.14

炎上未遂騒動

またまたモンディアルT時代の話に戻り恐縮ですが、そうそうありました、モンディアル時代

にも炎上未遂ネタが・・・・。(笑)

いや、ある意味456の消防車出動事件よりこちらの方が一歩間違えば大惨事になっていた

事案です。(通算2台のフェラーリしか所有していないのに、一体何回重大トラブル出してる

んでしょうね、2台ともコー●ズさんから買ってるのに・・・

今のFがどうか判りませんが、90年代のフェラーリはとにかく夏場はガソリン臭かったです

ね。ガソリンクーラーも装備されてないのでパーコレーションしまくりでした。

それでシリンダー内で未燃焼の生ガスガスが排出されるし(これが触媒発火・異常高温トラ

ブルの元凶)、チャコールキャニスターの具合が悪かったりと、少しでも渋滞に巻き込まれ

たり市内を走行し、ストップ&ゴーが続くと、微速〜低速がぎこちなくなるかガソリン臭くなる

かどっちかが先に出るかという感じでした。

そんな関係で、ある意味ガソリン臭いのには慣れっこになっていた私ですが、信号待ち停止

時・高速走行時を問わず、ある日の事キャビン後部から低速・高速走行時を問わずガソリン

臭が常時し出し、エンジンを掛けた状態で車外で確認しても、明らかに今迄とは異なるレベ

ルのガソリン臭がするので、前々回にも名前の出たAIMのK社長(当時はコー●ズ東大阪

サービスセンターの敏腕フロントマン)に電話すると、「こちらまで自走出来る様なら様子見

ながら取りあえず向かって下さい」との事。

無事東大阪まで自走完了し、K社長に「大袈裟だったら済みません。でもちょっと気になる

んで・・・」と言って、立ち会いの下エンジンフード開けて貰ったら、何とガソリンホースのクラ

ンプからガソリンが正に噴き出している状態でした。スロットルを踏めば踏む程、勢いよくガ

ソリンが吹き出しています。(爆)

今迄燃えなかったのが不思議な位と笑うに笑えない冗談とも本気とも取れる事を平然と言

ってのけるK社長。流石にコー●ズでは燃える・全損等の話は日常茶飯事なのでしょうか?

私的には、子供の頃ジャンボ尾崎氏のBBが高速で全焼したとか、新聞やニュースで報じら

れていたのを覚えていましたが、今自分自身がまさかそんな事態に直面するとは夢にも思

いませんでした。

ちなみに、私のモンディアルは納車時に348同様コー●ズさんのリコールでガソリンホース

は対策品に交換済みの物でした(爆)

 

H23.02.10

天狗になるな。油断大敵

 

恐らくその日も修理か調整上がりの、コーンズ東大阪サービス工場からの帰路だったと思

います。近畿道に乗って運良くガラスキだったので、その日はかなりハイペースで飛ばして

いたと思います。今とは違い、関西に今の様に新名神や第二京阪という、アウトバーン(爆)

もまだ存在せず、近場で3車線の長いストレートのある高速ってのはかなり限定されており

、今では考えられない事ですが、近畿道を爆走する車も少なくなかった時代です。

丁度鳥飼の新幹線高架下を潜ったあたりでしょうか?。相当ハイペースで走行している我が

456の背後に、パッシングを仕掛ける車が突如現れました。バックミラーで確認するとAMG

のエアロを組んだ(この油断がそもそもの間違いの始まり)R129SLでした。

正直なところ今思い出せば本当にお恥ずかしい話ですが、当時私は456に乗り出してちょ

っと天狗になっていた時期で、「R129だしそんなに速い筈はない」と安心しきって、まさかS

L如きに(敢えてこう表現させて頂きます。大意はありません)負ける等と思っても見なかっ

たのでしょう。しかしながら現実には私も徐々にペースを上げていったのですが、予想外に

ブッチ切るどころか心無しか両車の間隔が狭まっています。とっさに「ひょっとして僕SLに

煽られてんの?」 という思いが脳裏を過ぎると共に、掌に汗が滲みます。とっさにシフトダウ

ン&フルスロットル、轍に取られない様2車線跨ぎで全開で飛ばしましたが、何とそのSLは

私の456をあざ笑うかの様に、追い越し車線から追い越して行き、その内SLのテールさえ

拝め無くされてしまいました。

ちなみにそのSLのリアのエンブレムには7.2の文字が・・・・(爆)


実はこの時出したスピードが今でも私のコースレコードなのです。 続く

 

 

23.02.09

消防車出動の巻.人生たった一度の119通報〜出動要請。しかも車絡み・・・

人生経験上である意味非常に貴重な経験をさせて貰ったのもFならではのお陰でした(爆)

456を買って約1ヶ月後位だったでしょうか?、友人と待ち合わせてお茶でも行こうという事

で、途中何カ所かで所用を済ませて待ち合わせ場所へ向かう途中、最後の所用を終え待ち

合わせ場所へ出発の為に456のエンジンを始動させると、か細い僅かなクランキングで直

ぐエンジンが掛かるものの、明らかに何かがおかしい。でもバッテリーは納車時に交換して

いる・・・?。またまたオルタ?、燃料ポンプ?。嫌な予感が脳裏を過ぎります。「取りあえず

エンジンは止まらないでくれ〜」。しかしながらこの時の願いは予想もしない形で見事に裏

切られるのでした。

その後友人との待ち合わせの場所までは10数分間時速30Kmで片側1車線の生活道路

走行を強いられましたが、明らかにエンジンの吹けがイマイチおかしい。そこでギアをNに入

れ一発空ぶかしを浴びせるも症状は改善せず。これは警告灯は点灯していないものの明ら

かにスローダウン1−6OR7−12の症状かガス欠の症状ではないかと・・・。

取りあえず友人との待ち合わせの場所に到着したものの、念のためエンジンを掛けっぱなし

(再始動出来ないと困るので)で十数分談笑している間にその悲劇は起きました。

ふと話のとぎれた際に456の方に目を向けると、窓を締め切ったキャビン内に何故か煙が

充満しています(涙)。急いで車の方向に向かうとエアコン吹き出し口から煙が少し出ている

のでACトラブル・・・?。いやでもそれだとさっきのエンジン不調との関係は・・・?。念の為

にエンジンをOFFにし車内貴重品を社外に緊急移動させるも、煙は一向に収まらず、でも

煙だけで燃えている気配は無い(燃えてたら怖いですよね)。何故か冷静な自分・・・・。

この時点でコーンズさんにTELしアドバイスを仰ぐと、「エンジンフードを直ぐに開けてキル

スイッチをOFFに!」「エンジンフード開けるときは念のため熱気・煙で火傷しない様に注意

して下さい」との事。この時は正直フード開けたらエンジンルームが爆発でもするんじゃない

冗談抜きで思いました。ところが、実際エンジンフードを開けてみると別に特に変わった様子

もなく、何だか狐に摘まれた気分です。

そうこうしているうちも火や煙の勢いが増さないものの、収まる気配も無くただ時間だけが過

ぎて行きました。

コーンズのサービス氏はこの時点で東大阪から現場に向かってくれているものの、小心者(

当時:爆)の私は、幾ら車両保険に加入しているとは言え、当然出来る事なら買った車を守

りたい・・・・。そこでやむなくコーンズさんのフロントに了解を得て119番通報を決断したの

でした。

それから数分後、サイレンを鳴らしながら1台の消防車が到着。何故か呼びもしていないの

にパトカーのおまけまで連れて・・・(爆)。早速勢いよく消化器噴霧&放水作業を開始しよう

とする消防隊の方に「消化器を掛けたら車が元も子も無くなる。強力な放水では車内が無

茶苦茶になる。出来れば一番緩い水で局所だけに掛けて車の再起の路を探って下さい。こ

の車2000万以上するんです。僕の宝なんです(爆):一部誇張・妄想有」と訳の分からぬ

事を必死で叫び、何故か消防の方も呆れ半分で僕の意向に従ってくれたの事を覚えていま

す。

結局、やっとの事で僕が手に入れた456は、直ぐにコーンズサービスセンターに約6ヶ月強

の里帰りへとそのまま旅立ってしまいました。我が456はアンダーフロアーやら内装の大規

模な修復を受け、納車時より綺麗な姿になって我が手元に戻ってきたのでした。しかしなが

ら、その456には何故かキャタが外されており、スペシャル仕様のTUBIの爆音マフラーが

装着されていたのでした。続く

 

H23.02.08

 

スポーツカーの思い出


今は手放してしまいましたが、スポーツカーと称される車を3台乗ってきて、忘れられない思

い出が幾つかあります。

1つは32才で初めてあこがれのフェラーリを購入した時の事。当初の希望とは違い、外装

色は赤では無く青、クローズボデーではなくオープンという、全然希望と違う車(モンディア

ルtCAB)でしたが、「まぁこれも運命か・・・」という感じで意気揚々と、納車引き取りに今は

無きコーンズ東大阪に行ったのを覚えています。今思えば、この時のモンディアルが青メタ

だったからこそ、次の456も外装色がジアロモデナを選び、今度またご縁があって仮にF復

帰する場合でも「絶対ロッソ以外」という風に、私を意固地にさせたのかも知れません

。(そういいつつ、最新色のロッソスクーデリアとかロッソフォーミュラーワン等は、実際の色

見本を見たわけでもないのに、この2色なら例外OK?と決め込んでいます)

その青いモンディアルですが、引き取り直後先ず感じた事が「何?これ300馬力ほんまに

有んの?」でした。ちなみにこの車の前はR32GTRのN1ベース車両に、エアコンつけて、

マフリャーはシープドッグ(フジツボ)、足はエナペダル、ホイルはあの40デザインのスピー

ドラインの17インチに乗っていたのですが、当時は未だ厳しかった白バイや交機の検問や

制止命令に閉口し、「次は弄ってもばれない・止められない車にしよう」と考えた上でのこの

当たり前の事ですが、フェラーリは国産車と同じように扱ってはいけない事、そしてフェラー

リは紛れもないイタ車であると言う事をまざまざと見せつけられた事です。納車直後の高速

道路走行中、突然メーターナセル内の電圧警告灯が点灯し、すぐコーンズに電話して「これ

誤作動?」と尋ねると、「フェラーリは警告灯の表示だけはほぼ正確なので、その内停まり

ますねぇ・・・」と、笑うに笑えない話を聞かされ、その後通告通りに初の洗礼を受けたのでし

た。

ちなみに、当時モンディアルTと同じエンジンを搭載する348にも同様のオルタネータートラ

ブルが多発し、先ずデルコ?の対策品が出たのですが、結局ラチが行かず結局デンソー

製の最強オルタネーターへと武装され、トラブルは激減したのでした。

私のモンディアルも結局このトラブルで先ずデルコ製へ変更して貰ったものの、結局再発し

補記の取り回しが348と若干異なるモンディアルにあって、相当苦心してデンソー製を取り

付けて貰ったのでした。

ちなみに現AIMのK社長は、このモンディアルのオルタネータートラブルの時から御世話に

なっており、この先も多大なご迷惑をかけ続ける事になるのでした。      続く

 

H23.02.07

 

申し訳ありません。

DAIRY・PARTS共、何度か更新していたのですが、何らかの影響により反映できていなか

った模様です。申し訳ありません。生憎DATAも残っていませんが、何とかして再度順次U

Pし直しますので何卒宜しく御願い致します。

 

458

昨年の話になりますが、コー●ズの旧知の敏腕セールスのM氏のお誘いで、急遽458を

試乗させて頂きました。試乗車はVERTUデカール貼のロッソ×タンの個体。以前はロッソ

×タンといえば、Fのド定番の組み合わせだったが、最近は内装タンは余り人気がないらし

い。ロッソコルサは新色の赤(ロッソスクーデリアやロッソフォーミュラーワン)といった、名前

を聞いただけでワクワクする色が出現する中にあっても、いまだ絶大(?)な人気を誇ってい

る模様です。さて肝心の乗ってみての感想はと言うと、ノーマルマフラーでも十分快音、触

媒がついてても(当たり前ですが)吹け・パワーとも文句なし。LEDステアリングのインジケ

ーターが直ぐに点灯し、シフトアップを車から催促してきます。乗り心地も街では少し跳ねる

かなぁという程度で、十分長距離でも耐えられるレベルです。本当に凄い車でしたが、余り

の完成度の高さ故、尖った刺激が足らない様に思ったのもまた事実で、例えば日々の仕事

フラストレーション解消の為に、空き時間を見つけて例えば30分とか1時間、家の近くの高

速やワインディングを全力で走り、心地良い疲労感を得たいといったドライビングには、スク

ーデリアの方が未だ適しているかも知れません。

 

H22.06.30

G近況&S8

先般、某駐車場内で100円玉チョップの悪戯か傘の柄を当てられ、ほんの少し名誉の負

傷を負った我がGですが、保険手続きの方は無事終了し「事故扱非該当、料率変更無」で

処理して頂きました。やはり格安通販保険(Gは先ず入れませんが)等に目向きもせず、

20数年間、会社の火災保険も自動車保険も、そして生命保険も一任している代理店だけ

あって仕事が速いです。

しかし、高いとは聞いていましたがスペアータイアカバー1式で約22万・・・。

皆さんがスムージングに走る気持ち良く解ります(笑)

正直、新品を奢るには勿体ない小凹なので、なんとか補修出来ればと思い、色々聞いてい

るのですが、旧知のトウモロコシ屋さんのセールス氏にFの認定ボデー工場に聞いて貰っ

ても「新しい年式のあの部分は樹脂でしょ?、う〜ん」という返事です。

以前、廃盤で部品調達が不可となった直6G320のタイヤカバーの比較的大きな凹みを板

金で直して見せた某ヤナセ指定工場にも今回聞いてみましたが、「あの年式は金属製だっ

たから・・・」とこれまた切ない返事。

確かに実家にで実物を叩き比べてみれば、我がGとは音質・打感が全く違う・・・。

並行で海外から引っ張っても塗装の手間もあるし、結局Dでやるのと余り変わらない様な気

もするし、小生の腕の良い職人捜しはこの先暫く続きそうな感じです。

 

話は変わって・・・

最近会社の近くで黒のS8をショーファー付で乗られている方を良くお見受けします。

普段はショーファー、土日はご自身で運転を楽しんで居られるものと勝手に想像して居り

ましたが、本日後部座席に座られている御仁を初めて拝見しました。

何と初老のご婦人・・・

どう考えても休日にS8をご自身でブイブイいわせている様にはお見受け出来ません。

そうなると、どうしてS8をチョイスしたのかが気になって仕方有りません。

悪天候時の安定性を選ぶのなら同じ8でもA8Lがあるし、そちらの方がリアの居住性は

断然良い筈。

他人事で私には全く関係ない話ですが、この事考えたら今晩眠れそうにありません。

どうせなら、明日この光景に遭遇していたなら、WCサッカーを見逃さない良い方策になっ

たのに・・・・。でも黒塗りのS8のショーファーとても素敵でした。センチュリーやレクサス、

輸入車ではSや7一辺倒の我が国のショーファードリブンの社用車。

何とか何ないですかね?

 

」H22.05.10

随分、日記を更新せずじまいでした。

GW前に冬タイヤから夏タイヤに換装しました。冬タイヤはピレリーはのスコーピオンアイス

、夏タイヤは純正装着のBSデザートデューラーです。サイズは夏・冬共同一18インチで、

この組み合わせは前車W163ML430時代から踏襲しています。

ちなみにW163時代は夏はAMG18インチ、冬は純正17インチでしたので、厳密には同一

比較にはなりませんが・・・。

W163からW463に代替に際し、今回は夏冬同じ18インチだし、旧ML時代の冬場インチ

ダウン時よりドライ路面の差は小さい(即ちドライ路面でのスタッドレスのデメリットは小さい)

と予測していたのですが、どうも私の予測が甘すぎた様です。

ロードノイズは既に夏タイヤの時点で分相応でしたので(笑)そう差はないですが、実際換装

してみて高速のコーナーや直進性では相当の差がある事が身にしみて解りました。

高速のコーナーでは夏タイヤ比15%から20%位スピードを落とさないととても怖いし、車線

キープにしても冬タイヤならタイヤ2本分位の幅を何とか修正蛇を当てながらキープするの

がやっというところを、夏タイヤならタイヤ1本分位の幅でも楽々狙って走行出来るという感

じです。

最近、京都=御殿場を往復する機会が多いのですが(笑)、当然夏タイヤと冬タイヤではド

ライバーの疲労も全然違います。

燃費の方は途中の混雑具合が異なり一概には言えませんが、冬タイヤでリッター5.5km

〜6Km弱、夏タイヤで6km〜6.5kmとい言った感じです。勿論、これは万一捕まった際も

違反点数原則1〜2点で収まる範囲のアベレージですので、80km〜90km走行に自制出

来れば、更なる燃費向上に繋がる事は間違い有りません。

 

この5月でゲレンデ購入1年が経過しました。18才で免許を取って以来、ランクル60ハイリ

フトやブレイザーハイリフト等、リジッドアクセル車を10年程ドライブしておりましたが、昨年

ゲレンデを購入する迄、リジッド車のブランク期間が約20年弱ありました。

頭では理解していても、なかなか体が慣れなかったリジッド車運転術ですが、最近やっと慣

れてきました。リジッド車を高速で縦横無尽に振り回すのは、スポーツカーで高速を超高速

で走行する以上に神経を遣いますし、ある意味スリリングであります。

リジッド車(ゲレンデ)の運転はとても奥が深いと再認識させられた次第です。

 

H22.03.15

鉄道マニア

最近、鉄道ファンが急増しているらしい。そういえば阪急電車正雀車庫のレールウエイフェ

スティバルの入場券抽選も相当な高倍率らしいし、関西の鉄道写真撮影の名所JR山崎駅

なんかも、一眼レフに三脚担いだマニアの数が少なくありません。

ブルートレイン「はやぶさ・北陸」、寝台急行「銀河・能登」、そして新幹線500系のラストラン

に関しても、何だか異常な位盛り上がっています。

そんなに惜しいのなら普段から乗車していれば廃止にはならないのだが、普段は物のあり

がたみを忘れているのでしょう、廃止となると慌て出すのが世の常となっています。

500系のぞみに関しては、先頭車両前側に乗降ドアがない、普通車窓側のヘッドクリアラン

スが無く、閉塞感がある等、決して乗り心地的には評判が良くなかったらしいのですが、グリ

ーン車だと、適度の閉塞感があり車体形状から「明らかに速い乗り物に乗っている」感があ

り、敢えて500系を選んで乗車していたものでした。

東海道区間では500系でも最高時速は270KMで、他の700系と同じスピードで走行して

いても、何故か500系だと期待度を込めて「本当はもう少し飛ばして居るんじゃない?」と

思わせるプラスαを500系は持っていた様な気がします。

ここまで言うと解って頂けると思いますが、実は私も小学生の頃は車と並行して電車も相当

好きでした。小学生のクラスメイトと全国各地の特急が停車する国鉄の駅長さんに切手を

貼った返信封筒を入れて、駅住所もろくに調べず手紙を送りまくったものでした。

その目的はただ1つ・・・使用済特急券の収集です。

当然、規則によりNGと直筆の手紙を入れてくれる駅長さんも少なくなく、また返信も来ない

駅長さんも居ましたが、中には駅スタンプや珍らしい切符を見繕って返送してくれた駅長さ

んも居て、子供心に嬉しかった事を覚えています。

時刻表と学校の社会で使う地図帳を睨めっこし、適当に当たすりを付けて手紙を送り続けるだ

けの事なのですが、社会人になってこの趣味が確実に現在の私の仕事に活きている事に

気付きました。

例えば地方の新規店を開拓するにしても、ある程度の街の規模も思い浮かべられたり、各

県の中心駅からの距離関係も瞬間に思い出せます。また地方出張時に乗継・乗換等が多

発する時にでも、今でも駅名と駅所在地そしてその昔にその駅に停車した列車の名前を覚

えているので本当に何かと役に立つのです。

最近、頻繁に九州に出張し各線の特急に乗車しますが、駅を停車する度に当時小学生の

自分の姿をオーバーラップさせながら、当時の思い出に浸っています。

 

 

H22.03.11


ジェットスキー

私とジェットスキーの初めての出会いは、丁度今から26年前当時大学3回生の頃の出来

事です。運転免許取って4WD車買って貰って「お金もないのに毎日何しようかなぁ・・・」と

悩んでいた時の事です。ヨットのクルーをしていて勉強そっちのけで毎日の様に琵琶湖に

行っていた大学の友人が、「ウインドサーフィンより今はこれ!」 と教えてくれたのがジェッ

トスキーでした。当時私は冬はスキー・夏はウインドーサーフィンをやっていましたが、スキ

ーは高三の冬にまぐれで1級に合格し、「もうそろそろこの辺で良いかなぁ」と思い始めてい

た時期ですし、ウインドーサーフィンも決して面白くない訳ではないのですが、なかなか上達

出来ずにめげ掛けていた矢先にの事でしたので、ジェットスキーは直ぐにでも飛びつきたい

スポーツでした。

しかしながら、当時ジェットスキーは川崎製ながら逆輸入しか手に入らず、今では考えられ

ない事ですが西武マリンやヤナセが発売元として販売していました。そしてその値段も550

CCで125万と、大学生の私がおいそれと手が出せる代物ではなく相当セレブなスポーツで

した。


何故かベンツのSクラスや911にヒッチメンバーを取り付け、ジェットスキーを積んだトレー

ラーを牽引している人も少なくありませんでした。海や湖とは全く関係ないのに深夜に周防

町あたりにジェットを牽引した高級外車やアメリカンピックアップが路駐するのが流行ったり

もしていました。


そんなこんなでジェットスキーに対し暫く悶々とた日々を過ごしましたが、ウインドサーフィン

を処分し貯金を叩いたりして、大学4年の頃に中古の550CCのジェットを何とか購入しまし

た。
当時は鳥飼大橋や琵琶湖東海岸(海でではないですが)ではマイアミ浜の先、西海岸では

真野や松の浦等、毎週週末はジェットスキー三昧でした。まだ明石海峡橋が開通していな

い時期にフェリーで淡路島に遠征したり、まだ九州道が八代までしか開通していない時代、

ジェットを牽引して熊本や宮崎に遠征したりもしました。

ジェットに明け暮れる日々を過ごす中、ロス帰りのショップの人達から貰ったVHS等を見て

、日本のジェット事情と本場ウエストコースのそれとは雲泥の差がある事に気付きカルチャ

ーショックを受けました。丁度当時ジェットのチューニングの主流はウエストコース社からP

JS(パフォーマンスジェットスキー)に移行している時期で、PJSではツインキャブやリード

バルブエンジン等も出していました。ステンのペラ等も日本で調達するには1つ8万円位して

いました。バイクで有名なKERKERからもチャンバーが発売され始めた頃でした。

そんな私もご多分に漏れず耳年増になり、ジェットチューニングの道へ踏み入れる事になり

ました。ボデーをPJSワークスカラーにカッテイングシートでリメイクし、ハンドルバーもレー

シングタイプに変換、ワークス燃料タンクにオーバルエアクリーナー、BIGキャブにアルミチ

ャンバー、ハイコンプピストン等々・・・・。

ウエットも当時日本では入手困難であったジェットパイロット製をウエストコーストから取り

寄せたりと、自分で言うのも何ですがテクニックはさておき、かなり徹底的に拘りました。

その後、川崎から2人乗りX2、ヤマハからマリンジェットが発売される様になると、ジェットゲ

レンデの様子は激変、マナーの悪さや他の水泳客との兼ね合いが問題になり、ジェットが出

来るビーチがかなり制限される様になり、休日は夜中や早朝から場所取りしないと、トレー

ラーを直接水に浸けジェットを揚降出来ない位の混雑になって参りました。そんな矢先、い

つもの様に松の浦でジェットスキーを楽しんでいると、目の前で無人のジェットが旋回を繰り

返し、暫くすると警察や警備艇が現れ出しました。

これは後から仲間から聞いたのですが、何とライフジャケットを付けずおまけにアルコール

を摂取していた人がジェットに乗り、運悪く転倒時に体の何処かをジェットスキーで強打し、

気絶状態で水中に沈み最悪の状態となったとの事でした。

それから私自身も意味もなく岸近くまで結構なスピードで用もないのに見せびらかしに来る

パワーボートと危うく衝突しそうになったりと、流石にジェットスキーに対し恐怖心を抱く様に

なりましたので、ジェットスキーと4WDはこれを機に止める事にしました。

 

 

H22.03.10


鈴鹿の思い出B

鈴鹿シリーズはこれで最終回とします。鈴鹿の思い出で忘れられない事が1つ残っていま

した。

丁度今から17年〜18年前の事、当時私はVICIC大阪というモータースポーツクラブ主催

の鈴鹿走行会にちょくちょく参加させて頂いておりました。私自身丁度4WDオフロード車か

らR32GTRのN1仕様に車の嗜好を180度変え、走りに目覚めた頃でしたから、走行会が

ある度に代休か有休をとって参加していました。

このクラブは当時日曜日のBIGレース観戦の後サーキットホテルに1泊し、月曜の朝に鈴

鹿フルコースを走行出来るというパターンで「知る人ぞ知る」的な走行会でした。

私は日曜日F3000の決勝をグランドスタンドで観戦していました。ずっとグランドスタンド正

面の大型ビィジョンを見入っていたら、事も有ろうに1コーナー手前で多重クラッシュ発生し

、1台のマシンは1コーナー減速する事無く直進し、グラベルに突っ込みバリアーに激突し

大破・・・・

一瞬大型ビジョンの映像が1コーナーのクラッシュ現場にズームインされましたが、暫くする

と大型ビジョンは何も写し出されなくなりました。

この間サーキットは異常な迄の静寂感に包まれていた事を今でも鮮明に覚えています。

事も有ろうに先日の海外レースでトヨタのCカーで優勝し、国内でも業師と言われた小河等

氏がまさかこんな形でクラッシュに合うとは本当に信じられませんでした。

決して派手なタイプのレーサーではなかったけれどそのステディーな走りは、当時どちらか

というと日産贔屓の私でさえ、好きなレーサーの1人でした。

長い赤旗中断の後レースはリ・スタートされましたが、お察しの通り全く盛り上がらないし、ド

ライバーが笑顔を浮かべない表彰式を見たのも初めてでした。

翌日私は走行会に挑みましたが、1コーナーアウトの側のクラッシュ跡が嫌でも視界に入り

、何だか気分的には余り走りたくけど折角休みを取って参加してるし、私自身気持ちが入り

交じった走行会だった事を今でも覚えています。

H22.03..09

鈴鹿の思い出A

昨年の悪天候にも懲りずに、次の年もまた日本GPを観に鈴鹿へ。その頃は景気が良かっ

たのか身の程知らずだったのか、またまたヘリで行く事に。

その年は名港では無く名古屋駅からも程近い笹島貨物場跡地に臨時ヘリポートが作られた

ので、アクセスは飛躍的に向上していました。

天気もバッチリ、途中長島スパーランドのホワイトサイクロン上空を通過し、10分足らずで

鈴鹿サーキット安全教育センター内臨時ヘリポートへ到着。

到着時は昨年同様芸能人待ちの大勢のギャラリーからの痛い程の視線を受け、いざサー

キットへ。この年のFCJはメインスタンドから若干1コーナー寄りで観戦でした。

今でもまだ持っていますが揃いの黄色いポンチョがノベルティーで配布されたり、(画像UP

します)昨年より肩肘張らないアットホームなイベントでした。

レースの方は確かジャンアレジが結構頑張っていましたが、(当時フェラーリのF1は今程信

頼性・耐久性に優れるマシンではなかった)、スタンドの「どうせ最後まで持たないよ」の言葉

通り、案の定途中リタイアしてしまいました。

座席が丁度フェラーリPITの前だったこともあり、当時はまだアレジと結婚していなかった後

藤久美子の姿もPITに確認する事も出来ました。

ちなみに、我々グランドスタンドで応援していたFCJ観戦団の中に、当時は今程売れていな

かった車好きの某女優の姿もありました。

この年は帰りのヘリも無事飛ぶ事が出来、名古屋で名古屋コーチンとひつまぶしを食べて

新幹線で帰路へとついたのでした。

ちなみに、この時が生まれて初めて食べたひつまぶしでした。

 

H22.03.8

鈴鹿の思い出@

生憎全面改装された鈴鹿サーキットに未だ行く事が出来ずじまいです。小生の過去の鈴鹿

F1観戦の中で一番思い出深いのは、何と言ってもセナが事故死した年の日本GPです。そ

の年に念願のフェラーリを購入し、フェラーリクラブオブジャパン(FCJ)にも無事入会する

事が出来、そのFCJが応援ツアーとして開催した鈴鹿F1ビレッジでのツアーに初めて参加

したのです。時はバブル絶頂期、パドックパスは即完売。今の様にグランドスタンドの上にVI

Pルームもない時代です。苦肉の策として確か現在観覧車がある横に仮設プレハブを何棟

か設け、そこをビレッジクラブ?を設けていました。決勝当日は今でも忘れもしません天気

は雨、結局レース開始後もビレッジ特設スタンドへ一歩も出る事無く、プレハブの中でモニタ

ー観戦に終始していました。その時の思い出としてはスタート前のセレモニーで、セナが所

有するセナカラーのヘリが鈴鹿のホームストレートに着陸し、セナの姉か妹がその機体から

降りてきた事、そしてFCJのビレッジで当時車好きの間で一番人気の時計であったROLEX

のデイトナの金無垢をはめたメンバーさんが10人位居て度肝を抜かれた事でしょうか(笑)

実はその年のF1は名港=サーキット間の乗合ヘリを利用したのですが、行きはスムーズ

に飛行出来、鈴鹿到着時はヘリポートを取り囲むもの凄い人数の観衆から痛い程視線を感

じ(皆ヘリでやってくる芸能人目当て待ったのです)、いざレース観戦を終え行きと同じサー

キット横の安全教育センターに設置された臨時ヘリポートに出向くと、VIPさんの自家用ヘリ

を含め全く飛び立っていませんでした。そうです視界不良で飛べないと言うのです。ヘリポ

ートには当時某サーキットをも経営していた不動産会社所有のカラフルなヘリや現在もモ

ータースポーツへ積極的にスポンサードされて居られるレジャー産業企業のヘリも待機し

ていました。

唯一飛び立ったのは当時F1チームをも持っていた大手運送会社のヘリだけだったそうで

す。


結局その日は日没まで時間が残っていない事とこの先天候回復の見込みが薄いという事

で、当日ヘリは飛ぶ事が出来ずヘリ会社が用意した1BOX車で白子駅まで送って貰う羽目

に・・・。

ところが、ゲートから1時間経っても県道にすら出れない状況を考え、私は車を降り東方向

へ歩き出しました。暫く下り坂を歩くと右前方に凄い人だかりが・・・。伊勢鉄道のサーキット

稲生駅です。臨時列車が出ているとは言えそこはローカル単線です。このウエイティング人

数だと果たして何時乗れるか解りません。結局1時間共近鉄白子駅まで黙々と歩き続け、

近鉄〜新幹線と乗り継いで自宅に帰ったのでした。

そんなハプニング続きのF1観戦でしたが、午後8時からのテレビ放映は自宅リビングでお

酒を飲みながら見ていた記憶があります。

そして、その苦いF1観戦の教訓は次年活かされるのでした(笑) 続く

H22.03.04

福岡雑感

何時も九州へ出張に行く際は、新大阪から博多まではのぞみのグリーン、博多から先は

以前は特急リレーツバメと決めていましたが、最近はもっぱらレンタカーが多くなりました。

リレーツバメのグリーン車は1列+2列の計3列シート&個室の編成で、無料のドリンクサ

ービスもあり、福岡〜熊本の場合だと、実質500円程度のプラスαで乗車出来、大いに

利用したものでした。

通常、乗車時間は出来る限り短い方が良いのですが、普通の在来線にあって「もっと乗っ

て居たい」と思わせる、数少ない在来線特急の1つです。

個人的には九州新幹線全線開通に伴い、このリレーツバメが廃止されるのを非常に惜し

く思います。出来る事なら現在新幹線へシフトされている区間(現:肥薩おれんじ鉄道)も、

このリレーツバメで全線運転再開して欲しいと思う1人ですが、流石にこれは望外というも

のです。九州新幹線全線開通は来年春に迫っています。

 

さて、この前の2月末の九州出張時は、丁度昼の12時〜1時過ぎの時間帯だけ何故か

新大阪発博多行「のぞみ」の本数が少なく、スケジュール的に厳しかった為、伊丹=福岡

間は久しぶりに飛行機にしました。ところが伊丹のジェット機発着枠の関係で、昔は国内

幹線路線と呼ばれた伊丹=福岡間の昼間便は、あの何と悪名高きプロペラ機ボンバルデ

ィアへと機種変更されています。

私にとってヘリ以外で初めてのプロペラ機搭乗です。何時も以上に当日は航路の天候を

気にしたのは言うまでもありません。

そんなこんなでスーパーシートもクラスJもない狭いシートに身を寄せながら、ジェット機

より15分から20分余計に掛かる空の旅を強いられたのですが、普段利用するジェット機

より飛行高度が低い為、天候がよかった事もあり下界の地形がよく見えました。

小生の前職が土地関係だった事もあり、地理には精通している関係で、伊丹=福岡間全

区間にわたり、窓から下を眺めて今大体どのあたりを飛んでいるか判ります(笑)

しまなみ街道を越えると眼下に山口宇部空港や旧美祢サーキット、対岸に新北九州空港

も見え出しました。この調子だとこの飛行機は玄界灘上空を暫く西へ進み、志賀島あたり

で左旋回し、天神上空を通過し大野城市あたりで再度低空左旋回して福岡空港に着陸す

るパターンです。

福岡空港でのこの着陸方法は、香港の旧啓徳(カイタック)空港に似て、スリリングではあ

り、ランディング直前に右側に山が近づき、ある意味最後まで乗客も気が抜けない着陸方

法で、個人的には嫌いではありません。

当たり前の事ながらそんなこんなで無事着陸したのは良いのですが、プロペラ機なのでタ

ーミナルまではバス移動、おまけに到着はローカル専用の第一ターミナルと、とても幹線路

線便とは思えない薄遇ぶりでした。

余談ですが、「福岡って都会なのにどうして建物がこんなに低いの?」って思われた方も居

られる筈です。

背の高い建物と言えばYAHOOドーム横のホテルシーホーク位なものです。

天神の大丸・三越、中州のオークラやキャナルシティーもせいぜい10F建位です。

その理由はというと、前述の福岡空港への飛行機の航路となって高層物が建てられないか

らだとか・・・。

本当に福岡の人は太っ腹というか大らかですね。

関西だと「高層物が建てられないのは財産権の侵害につき航路変更せよ」とか声が出ても

決して不思議ではないのに・・・・。

おまけに伊丹空港と差程変わらない近隣環境(周囲は住宅だらけ)なのに、伊丹と違い夜

10時まで路線便は就航してるし、就航便数も伊丹の比ではないのに、空港廃止の声も聞

こえてこないし・・・

天神の目と鼻の先に玄界灘(海)があり、その海上に新空港を作っても関空より遙かに好

条件で天神・博多駅にアクセス出来る筈なのに、新空港論議もそんなに聞こえてこない・・。

本当に福岡の人々の寛大さには頭が下がります。

 

PS.この前会社の女子社員から「九州土産の明太プリッツは飽きたのでこれをお願いしま

す」と言われ、オーダーを受けたのが、努努鶏という凍らせて食べる手羽先の唐揚げ。

何でも先日オンエアーのけんみんショーで出ていたらしい。

よくよく調べてみると、何時も博多駅からの帰り、車内の酒のあてに唐揚げを調達するお店

の扱い品だと・・・

何十回も博多駅を訪れているけど灯台もと暗し・・・

気合いを入れて購入の決意を固めるも、TVの余りに反響で当日は調達出来ず。九州の知

人に別の支店で調達して貰いやっと食べる事が出来ました。

謂われの家通り未体験の味ですが、生ビールに最高に合いそうです。

 

 

H22.02.24

数年振りにHPをまた始める事にしました。昔は趣味のHPと言えどもどれも独自ドメインの

オンパレードで、そう言う私もFERRARIドメインを取得し内容は車だけでなく調子こいてグ

ルメのページにレシピまでつけたりしていました。また普通のBBSに飽きたらず、PWD式

BBS&チャット、挙句の果てには愛車にビデオカメラを搭載し、当時まだ珍しかった車載

映像をHPで動画公開したりと、ある意味で自分自身で「ネットバブル」を演じていた様な

気がします。ところが、数多くのHPが外国からの悪質な迷惑投稿によりBBSが荒らされ

出し、その駆除に追われる毎日となる頃から、独自ドメインの趣味のHPは減少傾向にな

っていきました。現在趣味のHPはブログ形式が主流となってしまい、動画配信もTWITT

ERやYOUTUBEへと変化して参りました。しかし、時代の流れと言えばそれ迄ですが、昔

なじみのHPが殆ど最近殆ど更新されずに放置、一方その傍らWEBMASTERさん自らMI

XIやミンカラへ日記を投稿されているのを目のあたりにするに付け、「昔を忘れられない

私(笑)」は、何だか非常に寂しい気がするのであります。